Life綴り ~風の光・花の音~

 身近な草花や、詩や音楽や美術展、日常事やハートで感じるスピリチュアルな話題等、幅広く織り混ぜて徒然に記します。

「草薙の剣」は今いずこ?と問うたなら。

 

 

心が悶々するとき、

私はよく熱田神宮の森に佇んだものでした。

が昨今は観光化のため、落ち着ける雰囲気ではなくなってしまい、足が遠のいています。

昨日、ついでが有って立ち寄ってみましたところ、

あいにくますます風紀が・・・・・・・・・・・・・・(涙)

とても参拝する気にならず、森を歩く気にもならず、

本殿にだけささっと参拝すると、早々に門外に避難。

 

 

そして、あ~あ、これではな、

草薙の剣(くさなぎのつるぎ) は今いずこ?と、心で問うようにつぶやきつつ帰路に着き、

近所の大型スーパーに立ち寄り、そこの書店の前を通ると、

この言葉が目に飛び込む。

 

「反応しない練習」

 

ムム、私の気持ちにぴったりかも、と咄嗟に少し立ち読みし、そのままレジへ。

家に帰って、本を調べると

著者名にびっくり。

 

”草薙” 龍瞬 ですって。

 

 

「草薙の剣」は今何処?と神宮の風紀を苦々しく思いながら、問うてみたら、

”草薙” 龍瞬 氏の本が目の前に出現し、著者名知らずに買って帰る・・・・・・、

 

これって何?

洒落?それとも悪戯?

神宮の風紀に不満・満々だったので、荒ぶるの神が???・・・・・Σ(;・∀・)

な~どと一瞬何やら慌てた私でしたが、だんだん判ってきたのですね。

 

「草薙の剣」は今何処?

→ 自分の内です。

それは反応を手放し静まった心の内に見いだせるでしょう。

そうなるために反応しないレッスンをしましょう、ということではないかしら?と。

(ちと自分に優しい解釈かしら?(笑))

 

 

草薙の剣は、スピ的にはアークエンジェル・ミカエルの聖なる剣と同じ意味のもので、

光の聖剣とされるものです。

心の悶々や災難や苦しみと闘う光の聖剣は、本来は自らに内に、聖なるフォースとして内在するものです。

(簡単に、顕在意識の自覚を超えた内なる力という言い方でも良いかも。)

 (※ 熱田神宮には光の剣が具現化した?実際の「草薙の剣」が保存されているとされていますが、

  ここではその話ではありません。スピ的イメージとお思い下さいね。)

 

が人間はとかくそれを見失いがちですね。

いいえ長きにわたり、すっかり見失っていたと言えるのかも。

見失っていたから外に求めてきたようなもので・・・・・・・・・・・・。

 

今という時代は見失っていた光の聖剣を(←この呼び名はともあれ)、

外ではなく自らの内に見出してゆく(思い出し活性化してゆく)、

そういうプロセスの時代なのかもしれません。

(剣という言葉は人間的イメージです。

フォースという言い方の方が良いかも。←スターワォーズね、はい。(^_-)-☆)

 

 

何にしろ、

心で何気につぶやいた問いに対して、予想外にはっきり答が来てしまった気がして、

そのスピーディなシンクロぶりにプチ驚いた私でした。

 

 

目に見えない存在達は見ているのでしょうね。

聞いていますね。

心の声も、声に出した言葉も、行いも。

 

 

悪口悪心は止めましょうね。

おてんとう様はいつも見ています。(笑)

(そのおてんとう様も実は自分の内だって話はさておくとして・・・・・・・。^^)

 

 

と、これらも含めて全部反応かしら?

書いていたら、そう思えて来ました。

 

 

心の処方箋として良いかも。

これから読んでみます。

 ↓

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」

 

 

 

 

 

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